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観能10年10カ月から

   (その7)

   柴田 稔の「隅田川」

    平成19年10月24日(水)、銕仙会能楽研究所「銕仙会青山能」での名曲「隅田川」の公演。
    観世流の中堅処、稔 (当時50才) の舞台である。大学出の能楽師で、昨年11月に舞台生活
    30周年記念で「道成寺」を舞った。「隅田川」は、今迄通算37回観てきたが、稔の舞台は
    12回目に当る。
    

     シテ:柴田 稔  子方:後藤真琴  ワキ:宝生欣哉  ワキツレ:大日方 寛
     笛:内潟慶三 小鼓:大倉源次郎 大鼓:国川 純 地頭:浅井文義 主後見:山本順之

    名曲中の名曲で人気曲だが、母子再会を果たせない悲劇の能である。名手が演じると、多
    くの観客が目頭を抑える。名手・名人でなくても、演じ方によっては観る者の心を打ち、
    涙腺を弛ませる。今日の 稔は、見事にそれを実証した。

    幕からの出は酷かった。緊張のためか 稔の謡はうわずり、狂い笹を持つ右手は異常に震え、
    ハコビもぎごちなかった。目深に被った笠が揺れ、当方もはらはらした。
    それを救ったのが、ワキ 欣哉の重厚でゆったりとした受け。地謡陣も、しっかりと支えた。
 
    渡守の語り、「父の名字を尋ねて候へば、我は都北白川に吉田の何某と申しし人の … 」で
    狂女は、その子が探し求める我が子だと覚る。稔の、作らない自然の所作が、効果的に働
    く。緊張の震えが、却って母の悲しい心情を増幅させた。その時 稔は、演技を超えて、
    愛児を失った悲劇の母、そのものであった。

    以降の 稔は、前段の不出来を超えて、独壇場の名舞台となった。子方も愛らしかった。
    思わず胸が熱くなった。
                           (平成19年10月27日 記)





10年10カ月 | 11:10:24

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